ティベリア旧市街
「聖地の古代都市」地金型貨幣シリーズ 第2次
ティベリアは、2,000周年を迎えたイスラエル最古の聖地です。イスラエルにある4つの聖地のうちのひとつであるティベリアは、何世紀にもわたりユダヤ人の生活の中心地として繁栄してきました。
イスラエル北部のガリラヤ海の西岸に位置し、紀元20年頃ヘロデ大王の息子ヘロデ・アンティパスによって築かれたティベリアは、ローマ皇帝であったティベリウスにちなんで名付けられ、ガリラヤ地方の首都となりました。
ローマに対するユダヤ人の大反乱は66年に始まりましたが、67年にはローマ人がティベリアを完全に支配したのでした。
70年に第二神殿とエルサレムが破壊された後、エルサレムに生き残っていたユダヤ人の多くがティベリアに移住し、2世紀半ばにはラビの最高法廷であるサンヘドリンもそれに続いたのです。
3世紀から4世紀にかけてのタルムードの時代に、ティベリアのユダヤ人の生活は盛んになりました。多くのシナゴーグが存在し、ユダヤ教の学問の中心地でした。ユダヤの偉大な賢人たちがそこに住み、ユダヤ文化を豊かにし、エルサレム・タルムードが作られたのでした。
9世紀から10世紀にかけて、アラブ人のイスラム教徒の支配下で、ヘブライ語の発声法や聖書の正しい典礼の詠唱が発達していきました。
11世紀末にこの地にたどり着いた十字軍は、その後1世紀にわたってこの街を支配し、続いてマムルークが登場しました。16世紀に入ると、イスラエルの地はトルコ帝国の手に落ちました。トルコのスルタン、スレイマン1世はティベリアを復興させ、スルタンの助けを借りて、有名なドナ・グラシア(Dona Gracia)は異端審問を逃れたユダヤ人難民のために、この街に新しいセンターを設立したのでした。
1918年にはイギリス委任統治時代が始まり、1948年、イスラエル独立宣言のわずか3週間前に、ティベリアという場所は混血の都市としては初めて、ユダヤ人の統治下に入ったのでした。
ティベリアに埋葬されている有名なユダヤ人の賢者には、ラビ・アキバ、ラビ・ヨハナン・ベン・ザッカイ、ラビ・メイル、ラムバムことモーシェ・ベン=マイモーンなどが居ります。
ユダヤ教またはキリスト教の聖地であり、温泉がありガリラヤ海に近いことから、ティベリアは主要な観光地となっています。
表面:右はガリラヤ海、左は市壁の一部と、十字軍の壁のコースに沿って建てられた要塞。
境界線に英語・ヘブライ語で「古代都市 ティベリア」、金バージョンには「1オンス 純金.9999」と鋳造年、銀バージョンには「1オンス 純銀.999」と鋳造年。
一般的な裏面:境界線に英語・ヘブライ語で銘刻「聖地の古代都市」。 中央には、アンティゴノスの古代ハスモン朝の硬貨(西暦前37〜40年代)から取られた7つに枝分かれしたメノラー。
デザイン:メイア・エシェル(Meir Eshel)
彫刻:ティダール・ダガン (Tidhar Dagan)
鋳造:聖地造幣局 (The Holy Land Mint)
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