ヤコーフ・ドリ
Bronze Tombac, 59.0 mm, 17 gr
SKU
11881590
在庫あり
$66.00
仕様
発行年 | 2010 |
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材質 | 銅 |
品位 | טומבק |
重量 | 98 גרם |
直径 | 59.0 מ"מ |
発行限度数 | 1000 |
ヤコーフ・ドリ(1899年-1973年)
2010年(ユダヤ暦5771年)公式メダル
「イスラエル国防軍参謀総長」シリーズ 第13次
ヤコーフ・ドリ(ドストロフスキー)は、1899年にウクライナの都市 オデッサで産声を上げ、1906年にはロシアのユダヤ人大虐殺をきっかけに、エレツ・イスラエルへ移住しました。そして、ハイファにあるレアリ学校(Reali School)で学習に励みます。
1917年には、第一次世界大戦という非常に困難な状況の真っただ中、彼はイギリス軍に採用され、ユダヤ人軍団にて任務に就きました。
1921年5月初め、ヤッファでの暴動の間、テルアビブのユダヤ人をアラブ人の攻撃から守ることに積極的に参加しますが、1921年にはハガナー(ユダヤ人の前国家防衛組織)での秘密活動のため、イギリス軍から除隊しました。
ドリはベルギーで工学を学びました。1926年に彼はエレツ・イスラエルに戻り、ユダヤ庁機関(The Jewish Agency)のテクニカルディレクターに任命され、ユダヤ人の入植地の新設に貢献しました。1929年、彼はハイファにあるハガナーの司令官となり、その後、国家指揮訓練局の長となりました。1939年にはハガナーの参謀総長になりました。彼のコードネームはダン(Dan)でした。
第二次世界大戦が勃発し、彼はロンメル率いるドイツ軍が国を攻撃することになった場合に備えて、エレツ・イスラエルでユダヤ人集団を守る計画を立てました。
彼の計画には「マサダ計画」というものがあり、その計画に従ってすべてのイシューブ(ユダヤ人の入植地)が団結し、そしてカーメル山脈にて自分たちの防衛態勢を整えていきました。終戦時には、ドリはイスラエル国家の設立が宣言される際に予想される攻撃を見越して、アメリカで武器を購入するため送られたハガナー派遣団を率いて出発しました。
独立宣言の1年前の1947年、ダヴィド・ベン=グリオンは、ドリが軍の設立に参加するためにエレツ・イスラエルに戻るよう要求し、イスラエル国防軍(IDF)が設立されたとき、ドリは初代参謀総長に就任しました。
ドリの最初の任務は、十分な武器や人的資源なしに独立戦争を遂行するという、到底不可能な任務でした。ですが、彼の組織をまとめる手腕は見事なもので、何千人もの新兵、中でも新しく来た移民やホロコースト難民たちを、軍事経験がなくても採用し、必要な能力を身に付けさせ、訓練させることに成功したのです。
1949年11月、ヤコーフ・ドリは軍を退役し、首相官邸に所属する科学評議会の議長に任命されました。 民間人として、ドリはテクニオン - イスラエル工科大学の学長、広報委員会の委員長、ハイファの副市長など、多くの役職を歴任しました。
彼は1973年に亡くなりました。
メダル詳細
。表面:ヤコーフ・ドリ中将肖像
。裏面:中心には英語とヘブライ語で書かれた「イスラエル国防軍参謀総長」の碑文、イスラエル国防軍紋章の右上には参謀長紋章
エッジ:平滑縁
(デザイナー:イガール・ガバイ(Igal Gabay
(彫刻:ティダール・ダガン(Tidhar Dagan
鋳造:
金:イスラエルコイン・メダル公団 (ICMC)造幣局
銀と銅:イスラエル、ヘクト(Hecht)製品
シリーズ名: イスラエル国防軍参謀総長
カタログSKU | 直径 | 発行価格 | 発行年 | 材質 | 数量 | 重量 |
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31881310 | 30.5 mm | 4014 NIS | 2010 | Gold 585 | 60 | 17 gr |
21881500 | 50.0 mm | 591 NIS | 2010 | Silver 925 | 360 | 17 gr |
11881590 | 59.0 mm | 252 NIS | 2010 | Bronze Tombac | 1000 | 17 gr |