イガール・ヤディン

Gold 585, 30.5 mm, 17 gr

SKU
31867310
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$1,430.00
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仕様
その他の情報
発行年 2010
材質
品位 585
重量 17 גרם
直径 30.5 מ"מ
発行限度数 60

イガール・ヤディン
2010 年(ユダヤ暦5770年)公式メダル
「IDF 参謀長」シリーズ 第12次

イガール・ヤディン(Yigael Yadin)(旧スケニック Sukenik)リエート。2人目のIDFイスラエル参謀長。また、軍隊から引退し晩年までは考古学者や政治家としても知られる。

イガール・ヤディンは1917年にエルサレムで生まれ、エリートレハビア(Elite Rehavia)地区の地元の有名なハギュマシア・ハイヴィルト(HaGymnasia Haivrit)高校で学びました。彼は「ヅォフィム」(「Tzofim」)スカウト運動の一員で、15歳の時に国家前の国防軍である「ハガナー」(「Haganah」)に参加し、様々な貢献を果たしました。

彼は考古学とヘブライ文学を学びましたが、1936年、当時22歳の時のテロ事件をきっかけに彼は研究を中断し、ハガナーの戦闘部隊に加わりました。彼は最初のCoSであるヤコーフ・ドリ(Yaacov Dori)の司令官の下で奉仕し、ハガナーで地位をあげていきました。 その後、彼は研究を修了するために軍隊を去りましたが、1947年に、事業部長のダビデ・ベン・グリオン(David Ben Gurion)の熱心な要請を受け戻ってきました。 それは独立戦争(1948)ときっかけとなるアラブの攻撃を誘発した国連によるパレスチナ分割決議の前日でした。戦争の後、ヤディンはエジプトとの停戦協議に参加し、1949年11月9日にCoSに任命されました。これを受けて、彼はIDFのための基盤ととガイドラインの多くを確立しました。1952年12月7日の ベン・グリオンとの予算削減に関する意見の相違による辞任まで3年間任務を果たしました。

軍隊を退いた後は、考古学の研究と発掘に専念し、最も知られる功績としては有名な死海の巻物を発見、翻訳を行ないました。 彼は、クムラン(Qumran)、マサダ(Masada)、ハズール(Hazor)、テルメギッド(Tel Megiddo)、テルガゼール(Tel Gezer)のソロマニックゲート(Solomonic Gate)で発掘をおこないました。 その一方で社会活動からも完全には身を引いておらず、六日戦争(1967年)の前夜に、彼は首相レビ・エシュコル(Levi Eshkol)の軍事アドバイザーを務め、ヨムキプール(Yom Kippur)戦争(1974年)の後は、イスラエルの戦争における事象や動機、それらの行動や現象について調査する委員のメンバーとして活躍しました。

1976年、特にヨムキプール戦争の後に、ヤディンはイスラエルの政治腐敗と戦うことを目指して、DASHとして知られている新しい政党を結成しました。 そして、彼はイスラエルとエジプトの間のキャンプ・デイビッド合意に尽力しました。 彼は1981年に政界を引退し、彼の妻カルメラ(Carmela)の助けを借りて、執筆活動を続けたのち、1984年に亡くなりました。 彼はエルサレムのヘーゼル山(Mt. Herzl)の軍用墓地に埋葬されています。
有名なイスラエルの俳優、ヨシ・ヤディン(Yossi Yadin)は彼の兄弟です。

メダル詳細

表面:中将イガール・ヤディンの肖像画。

裏面:イスラエル国防軍の紋章の上に“イスラエル国防軍の参謀長”の碑文が英語とヘブライ語で記載されています。右側には、参謀長のエンブレムがあります。

エッジ:平滑縁

デザイナー:イガール・ガバイ(Igal Gabay)

彫刻:ティダール・ダガン(Tidhar Dagan)

鋳造
金 – イスラエルコイン・メダル公団 (ICMC)造幣局
銀、銅 – イスラエル、ヘクト(Hecht)製品

発行名: イスラエル国防軍参謀総長 イガエル・ヤディン中将

シリーズ名: イスラエル国防軍参謀総長


カタログSKU tbl_condition 直径 発行価格 発行年 材質 数量 重量
31867310 30.5 mm 3649 NIS 2010 Gold 585 60 17 gr
21867500 50.0 mm 537 NIS 2010 Silver 925 360 17 gr
11867590 59.0 mm 252 NIS 2010 Bronze Tombac 1000 17 gr