イツハク・ナヴォン

Silver 999, 50 mm, 62.2 gr

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23020500
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仕様
その他の情報
発行年 2017
材質
品位 999
重量 62.2 gr
直径 50 mm
発行限度数 360
デザイン Ruben Nutels

イツハク・ナヴォン
イスラエル国家 第5代大統領

国章メダル

イツハク・ナヴォンは、1921年4月9日にエルサレムにて、ミリアムとヨセフ・ナヴォンの間に生を受けました。彼の母親の、スペイン系ユダヤ人の著名な学者の一人であるラビハイム・ベン・アター(Haim Ben Attar)は、オア・ハハイム(「生命の光」)という本の著者で、モロッコからイスラエルの地に移住した人物です。
彼の父親は、17世紀に既にトルコからイスラエル国に移民した、スペインのユダヤ人コミュニティのルーツを持つエルサレムの老舗家族の一人でした。

1948年のイスラエル独立戦争では、ナヴォンはイスラエル国防軍の先駆者で、ハガナーのアラブ師団の長であり、エルサレムの擁護者の一人でした。
戦後、彼はウルグアイとアルゼンチンへのイスラエル代表団の外交官を務め、モシェ・シャレット外務大臣の国務長官も務めました。
1952年に、彼はベン=グリオン首相の支局を指示するようお呼びがかかり、11年もの間忠実な側近として務めました。ベン=グリオンが首相として辞任した後、ナヴォンは文部科学省に加わり、イスラエルの成人したユダヤ人集団の中で、無教育を撲滅することを目的とした「無知の根絶」キャンペーンを主導しました。

1965年に、ナヴォンはクネセト(イスラエルの立法委員会)に選出され、その中でクネセトの副議長と外交防衛委員会の委員長を務めました。さらに、彼はユダヤ人コミュニティにアリヤー、つまり移民をイスラエルにするよう求めることによって、四散したユダヤ人との関係を強化し、世界シオニスト運動を率いたのです。

1978年4月19日に、イツハク・ナヴォンはイスラエルの第5代大統領に選出されました。彼の原則に忠実且つ、国民の団結を強化し、人々の社会的ギャップを減少させることを目標に、仕事に励みました。彼は皆の協力的な精神を高め、国内の様々な民族や宗教グループ間の友好関係を促進するよう努めました。彼はこの国の大統領であり、彼が大統領として活動していた間は、人々の身分や出生に関わらず、人間同士の愛が感じられました。彼は大統領という存在に、名声と道徳的な強さを加えたのです。彼は一切ためらうことなく、レバノンのサブラーとシャティーラ難民キャンプでの大量虐殺への調査を、州委員会に要求しました。彼のエジプトへの訪問は、偉大なアラブ諸国との関係の黄金時代を象徴していました。

5年間の大統領職を務めた後、ナヴォンは更なる任期には立候補しないことを決意しました。
1984年にクネセトに選出され、1990年までの間、副首相および文部科学大臣を務めました。教育大臣として、教育における科学技術の重要性、ならびに全ての人々の民主主義と共存に向けた教育を強化しました。イスラエル市民は人口のすべての身分において地位の平等を確立し、またアラビア語研究を強化することに努めました。
そして彼は「カルチャー・バスケット」という取り組みを始めました。それは全生徒の文化と芸術経験だけでなく、ポーランドへの学術研究の旅行を豊かにすることでした。彼はまた、サム・スピーゲル映画テレビ学校の創設者の一人でした。

ナヴォンは、ヘブライ語を文化の言語として復活させるべく最善を尽くしました。理論的研究と並んで、教育システムは生徒に基本的価値観を植え付けるべきであるというのが、彼の意見でした。ナヴォンが提唱した基本的価値観:真実、誠実さ、正確さ、全ての人に対して兄弟のように尊敬を持つこと、ボランティア、遺産と伝統の尊重、今日の私達ユダヤ人に繋がる歴史を識別すること。

政治的な活動に加えて、ナヴォンは作家および劇作家でした。彼の文学作品は、短編小説、「セファルディック・ロマンセーロ」(「スペイン語の物語詩集」)(音楽劇)、ラディーノ語とその文化をフィーチャーした「セファルディック・ガーデン」(「スペイン風庭園」)を含む作品が、1998年から「ハビマ」(テルアビブの劇場)にて前例のない成功を収めました。

1991年にナヴォンは政治から辞任しましたが、公の生活からは辞職しませんでした。彼は国中を動き回り、様々な地域社会に熱心に取り組みました。ネオット・ケドゥミム(Ne'ot Kedumim)、聖書の自然保護区、エルサレム音楽舞踏アカデミー、そしてラディーノ国内当局とその国立公認協会のための、彼自身の利益を反映した様々なプロジェクトを進めるために、時間とエネルギーを費やしました。
さらに、彼は世界青少年聖書コンテストの審査委員長を務め、ユダヤ人とアラブ人の共存を推進するためにアブラハム基金を主宰しました。またベイト・シャーロム(Beit Shalom)を日本に設立したり、北アフリカ系ユダヤ人世界遺産センターの会長を務めました。彼はイスラエルの ハガナーの友達(Friends of the Haganah)の名誉会長であり、ネゲヴの発展を推進したヤド ベン=グリオン協会の会長でもありました。

イツハク・ナヴォンは家族愛に溢れた人物であり、家族こそ最高の価値を持つものと見なしていました。 1963年に、彼はナアマの母であるオフイラ・エレズ(Ofira Erez)と結婚しました。彼女は援助を必要とする障害を持つ子供たちを助けた、リハビリテーション心理学者です。
彼女は人々に敏感な人物で、自身の病気について勇気を持って堂々と話すことから、大衆にとても人気がある人物でした。1993年に、オフイラ(Ofira)は57歳で癌で亡くなりました。1995年にナヴォンは、死が二人を分かつまで共に過ごすことになる2番目の妻、ミリ・シャフィル(Miri Shafir)に出会いました。

イツハク・ナヴォンは、全人類を無条件に尊重する人物で、教師および教育者、また知識豊かで多作な作家であり、真心を捧げたエルサレム人でした。 彼はまず行動して後から考える人であり、隣人たちとの平和を築く能力があるということを十分に信じていた、善行の人でした。
2015年11月6日、彼はエルサレムの自宅で亡くなり、イスラエル国家の偉大な国柄を表す、エルサレムのヘルツルの丘の区画に埋葬されました。

エレツ・ナヴォン

1996 - 2015年 ナヴォン事務局長デニス・ハラン・ベン - ドール(Denise Haran Ben-Dor)

メダル詳細

表面:イツハク・ナヴォン大統領の肖像、英語・へブライ語で「イツハク・ナヴォン イスラエルの第5代大統領」。

裏面:英語・へブライ語で「何十年もの間、私たちは国の建設に従事していた。だが今、我々は政治的な意味での国造りに専念しなければならない。 」(1978年5月29日 イツハク・ナヴォンの大統領選挙演説からの抜粋)
ダビデの星が6つの異なる手によって握られたジグソーパズルの絵柄。(高齢者、若者、男性、女性、新しい移民、イスラエルの国民の手を表現)
イツハク・ナヴォンの、イスラエルの国民とディアスポラとなったユダヤ人への呼びかけが具現化された記号式。

女性の手の上の平和の鳩は、隣人との間の真の平和に対する大統領の思慕を象徴しています。 子供の袖のデザインはスペイン系ユダヤ人の文化スタイルは、幼児期に彼の魂に結びつけられた考え方とても似ているため、それは彼の文学作品の主な特徴となりました。 ライオンが刻まれたカフスボタンは、エルサレムを象徴しています。エルサレムは大統領が生まれ、旅立ちの日まで過ごした場所です。

デザイン:
表面:ルーベン・ヌテルス(Ruben Nutels)、写真撮影ヤーコフ・ザール(Yaakov Saar)、イスラエル政府広報室。
裏面:エレツ・ナヴォン(Erez Navon)、イツハク・ナヴォン 遺産センター(Yitzhak Navon Heritage Center)、ボアズ・ガバイ(Boaz Gabai)。 ルーベン・ヌテルス(Ruben Nutels)によりメダルに適応化。

彫刻:ティダール・ダガン(Tidhar Dagan)

(鋳造:聖地造幣局(The Holy Land Mint

発行名: イツハク・ナヴォン

シリーズ名: イスラエルの大統領


カタログSKU tbl_condition 直径 発行価格 材質 数量 重量
33020300 30 mm Unavailable Info Gold 94 17 gr
23020500 50 mm Unavailable Info Silver 999 360 62.2 gr
13020500 48 mm Unavailable Info Bronze Tombac 1000 49 gr